リーダーには説明責任がある

旧館より

リーダー『論』なんていう大げさな話題ではありませんが、数年前、ある上司と「リーダーとメンバー(特にサブリーダー)との関係」について話したことをふと思い出しました。

 「目的を達成するために人を動かす必要があるなら、(一時的にせよ)自分の信念を曲げて、また時にはバカになることも必要」とその上司は言いました。

これは私自身がこういうことをうまく出来なくて、「う~む」と悶えることも時々あり、その必要性はよく分かります。
で、もう1つ「自分以外は全て駒、右腕(例えばサブリーダー)はいらない。だから誰に対しても目的を達成する為に信念を曲げた行動、発言が出来、(結果として)目標を達成出来る」と言い切っていました。

どんな話の流れがあって、こういう話題とその結論になったのか数年前のことなので正確に覚えていませんが、これは違うなぁと思ったのを鮮明に覚えています。

私なら、そのサブリーダーに(最悪、事後にでも)「今回はこんな風に普段の信念とは違う事をしたけど、こういう背景があって、こういう事情があって、こういう狙いがあったから」と話します。
つまり「説明責任を果たす」ということです。

サブリーダーの立場からすればリーダーの意を酌むのは、求められる、能力/タスクの1つです。
しかし、(メンバーを含めた)サブリーダーにとって、心情的に「信念を曲げないリーダー」ということは、そのリーダーについて行ける大切な要素だと思います。

そのような前提の上で、先程の上司のような考え方のリーダーを持つと、そのリーダーの信念が場面によって変化するため、不安を感じると思います。

結果として、サブリーダーがリーダーになった時に、キチッとサブリーダー時代にリーダーから説明責任を果たされていないと、次のサブリーダー(やメンバー)にとって、良くないリーダーになってチームとして力が発揮できないようになってしまうと思います。

人にはそれぞれ向き不向きがあり、リーダーに向いている人もいればそうでない人もいますが、少なくとも私がリーダーの立場で仕事をする時には常に説明責任を果たして、次のリーダーにバトンタッチできるように意識しているつもりです(なかなか難しいことですが)。

※注意:この記事は旧サウスポーなエンジニアの独り言から移行し一部修正したエントリです。

Photo credit: Sebastiaan ter Burg via VisualHunt.com / CC BY

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